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福岡地方裁判所 昭和26年(行)3号 判決

原告 斉藤喜三太 外二八名

被告 福岡県知事

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、被告が原告等に対し別紙目録(第二欄を除く)記載の如くなした昭和二十四年度第一種事業税の賦課処分はいづれも無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、被告は、原告等が昭和二十三年中右目録第二欄記載の如く多くは農業兼業の大工又は左官として地方税法(昭和二十三年七月七日公布法律第百十号、同日施行、以下地方税法というはこの法律を指す)第六十三条第二項第八号所定の請負業を行い該事業による所得があつたとして、原告等に対し右目録第三欄記載金額の第一種事業税を賦課し、同目録第四欄記載の日に居住地の町村長をして原告等に対し徴税令書を交付せしめた。しかしながら原告等はいずれも日傭の大工又は左官であつて、昭和二十三年中に第一種事業税を賦課さるべき請負業を行つたことがなく、従つて課税の対象となる事業所得がないのであるから、原告等にする右課税は憲法第三十条の規定に違反した違法な処分であり、無効であるから、これが無効確認を求めるため本訴請求に及ぶと陳述した。(立証省略)

被告訴訟代理人は、本案前の抗弁として本訴は行政事件訴訟特例法第五条に定むる出訴期間を経過しているから不適法であり、原告等の請求は却下さるべきであると述べ、本案につき原告等が多く農業兼業の大工又は左官であること、被告が原告等に対しその主張の如き事業税の賦課処分をなし、原告等主張日時徴税令書を交付したことは認めるが、原告等は昭和二十三年中に大工又は左官として地方税法所定の請負業を営み、事業所得があつたのであるから、被告のなした課税処分は公正かつ適法であり、従つて原告の請求は理由がないと陳述した。(立証省略)

理由

先づ本案前の抗弁について考えるに、ある行政処分が無効であるとして該処分の無効確認を求める訴には行政事件訴訟特例法第五条所定の出訴期間の制限がないと解すべきであり、本訴がかゝる確認訴訟であることは原告等の主張に照し明白であるから、この点に関する被告の抗弁は理由がない。

よつて本案につき判断する。

原告等が多くは農業兼業の大工又は左官であること、原告等が昭和二十三年中地方税法所定の請負業を行い、該事業の所得があつたものとして、被告が原告等に対し別紙目録記載の如く昭和二十四年度第一種事業税の賦課処分をなしたことは当事者間に争がない。原告等は右課税処分は、原告等が昭和二十三年中に地方税法所定の請負業を行つたことがないのに、該事業を行つたとしてなされたものであるから、違法無効であると主張し、もしも原告等主張の如く原告等が単に大工又は左官として雇傭又はこれに類似の契約に基づき役務の提供をなし、これに因り報酬の支払を受けたにすぎずして、請負業をなしたものでないとすれば、右課税処分にはかしが存するというべきであるから、原告等が昭和二十三年中に大工又は左官として請負業を行つたかどうかについて判断する。

証人大石信、久保田シヅカ、古賀光三郎、桑原勇、中村峯次郎、筒井照喜、佐々木清、木下アルミ、塩塚澄人、古賀清、古賀広吉、古賀岩雄、団野伝作、西見力蔵、古賀四郎、上村直助、野口正雄、古矢喜一、栗木栄蔵、鳥越才治郎、鳥越繁喜、永松キヨカ、岩瀬呈蔵、小林政太郎、大塚留吉、大塚恭太、堀江宏郎、内藤シズカ、内藤角之助、吉松諄七、平川幸太、善良七、林田末春、上村健太、吉武栄蔵、吉岡松太郎、吉岡正弘、右田正雄、田代茂、古賀岩雄、原久太、水城秀吉、米倉幸一郎、二宮一正、高木忠助、菅谷光夫、山下新、田中篤美、山崎英雄、藤田隆次、柳瀬政次、弥吉直次郎、石井忠幸、高芝秀雄、東三義、滝内唯夫、檜室初幸、高倉倭雄の各証言、乙第二、第三、第二十八号証、(以上の乙号証は右証人菅谷光夫の証言により真正に成立したものと認める。以下これに準ずる)乙第二十号証の一、二第二十三号証(右証人山下新)乙第七、第八号証(右証人田中篤美)乙第二十二号証(右証人山崎英雄)乙第二十四、二十五、二十六号証(右証人藤田隆次)乙第二十七号証(右証人柳瀬政次)乙第九、第十号証(右証人弥吉直次郎)乙第十七、十八、十九号証(右証人石井忠幸)乙第一、第四号証(右証人高芝秀雄)乙第十二、十三、十四号証(右証人東三義)乙第十五号証(右証人滝内唯夫)乙第二十一号証(右証人高倉倭雄)乙第五号証(右証人菅谷、檜室初幸)乙第六号証(右証人菅谷、田中、檜室)乙第十一号証(右証人菅谷、弥吉)乙第十六号証(右証人滝内、檜室)原告筒井強太を除く原告等各本人の供述(原告大石照夫は第一、二回)の各一部を綜合すれば左の事実が認定でき、この認定にていしよくする前記各証拠部分は措信せず、他にこれを左右する資料はない、すなわち

(一)  昭和二十三年中における原告等の職業は、原告齊藤喜三太、同古賀実、同大石照夫、同古賀進、同古賀豊、同大石清太、同林茂男、同山下藤蔵、同江藤吉雄、同林幸三郎、同角野政利、同樋口幸生、同中堀義稜、同岩瀬義郎、同古賀伝吉、同古賀虎五郎、同樋口茂、同上村義之、同筒井春太、同鑓水盛太、同坂井勇、同田中繁登の二十二名は農業兼大工(たゞし全部が農業の主体であるというのではなく、一年中の相当部分農業に従事するという意味であつて、このうちには例えば原告中堀の如くその父の営む農業の手伝とも見られるものが含まれている)、原告麻生虎雄、同鐘ケ江勇、同仲道次男、同古賀半次の四名は大工(このうち仲道はその妻の実家の農業を手伝い、また古賀は一反余りの畑を耕作している)原告筒井強太、同長尾縺太の二名は農業兼左官、原告上村次雄は左官であつて、農業を兼ねる原告等は農繁期には主として農業に従事し、原告等全部が同年中大工又は左官として働いた日数は概ね六、七十日ないし百五十日位であつて、農業を兼ねるかどうかによつて大工、左官仕事をなした日数に著しい差異は認められない。尚農業の規模は田二反ないし一町余に畑若干を耕作し、原告長尾縺太、同古賀伝吉、同樋口茂、同上村義之等が田七反以上を耕作する中農と認められる外は、多く小農又は所謂飯米農家であつて、農業と大工、左官仕事の両者によつて一家の生計を維持しているか、或は大工仕事が本職であつて、農業は主として家族労働に依存している状況にある。

(二)  原告等の居住する町村は筑後平野の穀倉地帯の一部に属し、土着工業の見るべきものがないので、原告等が大工ないし左官としての仕事先は稀に小、中学校、公民館、製粉工場、共同葉煙草乾燥場等稍大規模の建設、修理工事の外、主として小規模の個人住宅、農業用作業場の解体、移築、建増し、模様替、修繕並に大小様々の造作等である。

(三)  原告等が昭和二十三年中になした大工又は左官仕事の形態は左の如く類別することができる。

(イ)  仕事の依頼を受けた大工又は左官は設計、材料の見積、材料の一部全部の提供、工事従業員の雇人、労務の組織、作業計画の設定実施、従業員の指揮監督等を自己の責任においてなし、竣工期間と労働日数に関係のない請負代金とを約定し、仕事を完成して代金の支払を受ける、但し必しも完成後代金の全部の一括支払を受けるとは限らず、着工前、又は着工後に一部の前払又は分割払を受ることがあり、完成期間が長期に亘る場合殊に然りである。

(ロ)  一人の大工又は左官が他より工事の設計、材料又は労務費の見積原材料の購入工事の完成等(最後のものを除いてはその全部又は一部が除かれることがあるが、見積は殆んど除かれることがない)の依頼を受けてこれを引受け、引受けた大工又は左官は工事の規模と期間の緩急に応じて単独で、又は自己の内弟子(自己の弟又は子等近親者であることもある)、一人前にならぬ職人、時に単なる人夫等を雇入れ、又は同僚又は先輩、時に旧師を雇入れ、又はこれと共同で作業計画の設定実施、仕事の指揮をなし、報酬は各自の労働日数に応じて一日当りの約定額を基準として(但し一人前でない大工、左官は例へば一人前の者の七割又は八割等の格差をつけ、純然たる見習弟子の場合はその者の報酬を特に要求しないことも稀ではない)算出した額の支払を工事竣成後(但し長期に亘る時は中途で一回ないし数回内払を受ける)支払われる、(原告等ないし原告側証人の多くは報酬の支払は各人が仕事の依頼者から受けると言つているが、この地方の農業や大工仕事等のやり方が頗る原始的ないし前時代的であるところから見れば、報酬の受領のみが常に純個人主義的に行われていると断定することは困難であり、そうでない場合も多いのではあるまいか)、この場合最初の依頼を受けた者が当該工事の責任者であつて、間々棟梁(この言葉は本来工事の総指揮者の謂であろうが、依頼者に対する責任者、請負人の意味にも用ひられるのであろう)と呼ばれる。

(ハ)  単独又は依頼者と共同で極めて単純な作業をする仕事の報酬は日割で計算支払われる。

(ニ)  前記(ロ)の責任者ないし棟梁から依頼を受けてその指揮下に、時としてこれと共同で仕事をなし、報酬は日割で支払われる。

(ホ)  比較的大規模工事の請負人又はその下請人から雇われて働き、日割計算で報酬を受取る。

(四)  原告等が昭和二十三年中になした大工又は左官仕事のうち明かに前記(イ)の類型に属するものは、原告坂井勇が竹野村右田武次郎方居宅の増築工事を金二万円で請負い、原告仲道次男等を雇入れて工事を完成した一例があるだけであり(昭和二十四年には原告古賀伝吉が久保田イエ方の工事を金十万円で請負い、また原告長尾縺太が古賀義雄方の壁塗りを代金二万円で請負つている)これは所謂手間請(請負人が原材料の一部ないし全部の提供をしない請負)であつて原告古賀進が福富村東屋部の古賀広吉の依頼によりなした木造瓦葺二階建倉庫建坪七坪半の新築工事もこの種のものであるかに見えるが判然しない。

前記(ロ)に属するものは原告等の殆んど全部がこれをなしている、例へば原告古賀実(依頼者木下アルミ、以下これに做う)同古賀進(古賀岩雄)同古賀豊(古賀ヨシミ、古賀さつき)同筒井強太(橋詰一郎其の他)同長尾縺太(高木忠助)同林茂男(塩塚澄人、団野伝作等)同山下藤蔵(栗木栄造)同林幸三郎(清水盛)同岩瀬義郎(永松きよか等)同麻生虎雄(小林正太郎、大塚留吉、石田製材所)同古賀伝吉(小西勘太、小西貞夫)同古賀虎五郎(内藤竹次、内藤しづか)同上村次雄(平川幸太)同上村義之(原久太)同筒井春太(笠松炭坑、上村市作)同仲道次男(上村嘉四郎)同古賀半次(吉岡松二郎、吉岡正弘、吉武栄蔵)同坂井勇(田代茂、煙草乾燥場、森一夫)同田中繁登(水城秀吉、米倉幸一郎)等である。

前記(ハ)の形での仕事は原告等の大部分がこれをなしている、例えば右(ロ)記載の原告以外では原告齊藤喜三太(依頼者佐々木清ーもつとも親族の関係上無報酬ー以下これに做う)同大石照夫(下竹嘉孝、原島製作所)同樋口茂(大鶴組)同中堀義稜(内山初次郎)等がこれに属する。

前記(ニ)も原告等の多くがこれをなしているが、前記(ロ)および(ハ)に掲げた者を除き、殆んど専らこの形で仕事をしているのは原告大石清太、同江藤吉雄(栗木栄蔵、塩塚澄人)同角野政利(栗木栄蔵)同鑓水盛太(農協倉庫、小学校、平田某外)同鐘ケ江勇(中島某、物部改太)等がある。

明かに前記(ホ)に属すると思われるものはないが、(ホ)に属するとも推定できるものは原告江藤吉雄(久留米大鶴組)同樋口幸生(同上)同中堀義稜(鳥越製粉工場)同樋口茂(大林組)同上村義之(久留米粋光園)同鐘ケ江勇(工友社)等である。

ところで前記(三)の(イ)が請負であり、(ホ)が雇傭であることは疑の余地がないが、(ロ)、(ハ)および(ニ)はいずれも仕事の報酬が日割計算で支払われるので、これを業とする大工、左官は日傭大工左官であつて地方税法にいう請負業を行うものでないというのが原告等の主張であるが、請負と雇傭とを区別する主要な標識は仕事について与えられる報酬が仕事の結果に対するものか、仕事それ自体に対するものかにあつて、報酬の形態は単に一の参考的資料たるに止まり、純然たる雇傭にも請負賃金があるのに対応して、請負にも日割又は時間割の報酬があり得るのであるから、報酬の形態だけから見てこれを雇傭労務者であると断定するのは早計であろう。

大工左官の仕事はもともと農業又は土木工事に於ける単純な日傭労務者の労働に比べると相当高度の技術的な仕事であり、一定量の仕事をやりかけてこれを中止し、他の者が代つてこの仕事を完成させる等の事が単純労務程うまくゆかぬ場合が多いであろうし、仕事の依頼者も単なる技術労務の提供を受くることより寧ろ特定の仕事の完成を主眼として契約するにちがいないこと、これらの点から考えれば、今日大規模の建設工事が直営の場合を除き殆んど例外なしに請負契約に基づいてなされていることでも判るように、その建設規模の大小を問わず本質的に請負にむいた仕事と見るべきであつて、請負人、下請人、棟梁等に雇われて日傭仕事をする等特段の事情がないかぎり、大工左官は報酬形態の如何を問わず請負契約に基づいて仕事をしているものと認めるのが相当である。

右の如き見地に立てば、前記(ロ)は明かに請負であり、(ハ)は反証なき限り請負と認むべく、(ニ)は反証なき限り雇傭と認むべきであつて、原告等が昭和二十三年中の大工又は左官仕事につき所得税の源泉徴収を受けていないことは前顕各証拠並に口頭弁論の全趣旨により認められるけれども、この事実のみによつてその仕事が雇用労働でないとなすことはできない。

右認定の如く、原告等は大工又は左官として概ね(イ)ないし(ハ)の形で請負仕事をなし、また原告大石清太、同江藤吉雄、同角野政利、同鑓水盛太、同鐘ケ江勇等の如く、前記(ニ)の形か又は(ニ)と共に(ホ)の形の仕事しかしないものおよび原告樋口幸生の如く、(イ)ないし(ハ)の形の仕事をしたことが明かでないものがあるけれども、前叙各証拠により明かな如く、原告等のうち比較的年長で大工または左官職としての経歴が古い者、又は仕事に熟練し現に弟子を養成して居るか、または養成した経験のあるもの等は多く(ロ)の形で仕事をし、比較的若年で経験の乏しい者は多く(ニ)の形で仕事をすることが多いという一般的傾向が見られるだけで、原告等が(イ)ないし(ホ)のうち如何なる形で仕事をするかは、多く仕事の注文者との個人的関係其の他によつて定まる等偶然の事情によつて左右されることが多いこと、原告等の仕事のやり方は著しく非近代的であり(例えば仕事や材料の見積、設計等をなしても日割報酬以外に報酬を請求しない、時に弟子の労働力に対する報酬を請求しない、また棟梁が自己の師匠筋を雇う場合、仕事注文者に対する仕事の結果についての責任は自己が負うであろうが、その仕事の進め方等については却つて師匠の指図を受けることも多かろう)報酬形態も圧倒的に日割計算される等のことから、一々の仕事について雇傭と請負とを判別することは著しい困難を伴わずしては不可能であること、前記の如く原告等が極めて異例の場合を除き、雇傭労務の提供をなした場合にも所得税の源泉徴収を受けていない等諸般の事情を斟酌すれば原告大石清太、同江藤吉雄、同角野政利、同鑓水盛太、同鐘ケ江勇、同樋口幸生等が昭和二十三年中に請負業を行い、これによる所得があつたとして、被告が前叙の如くなした右原告等に対する昭和二十四年度第一種事業税の賦課処分にはかしが存することは疑う余地がないがこのかしは重大なものとしても明白なかしとは認め難いから、右処分は所謂抗告訴訟の対象とはなり得ても、当然無効であるということはできず、その他の原告等は前叙の如く明らかに請負業を行つたのであるからこれに対する課税はもとより有効であり、その他本件課税処分が無効であると認むべき何等の資料もない。

よつて原告等の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 丹生義孝 亀川清 川上泉)

(目録省略)

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